スウィトリトな日々

演劇をちょっとずつ日常の中に――。 そんな活動をするスウィトリトのブログです。 アサカワミトがお話ししてます。

カテゴリ: 観賞

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こんにちは、アサカワです。
3月の観劇ラッシュ。

今回は、劇団☆流星群さんの
『遠い海の記憶の彼方に・・・』
を観て参りました。

劇団☆流星群さんといえば、
プラネタリウムのドームで
演劇公演をすることで知られていますが、
いままで観る機会がありませんでした。

今回はスウィトリトの
『大人のよみきかせ』に出演してくれた
モウリマサコさんが、
流星群さんに出演されるということで
観て参りました。

場所は守口市は大日にある、
生涯学習センターに隣接している
ムーブ21という施設。

生涯学習センターでは珍しく
プラネタリウムを観ることが出来る施設。
ところがこの3月で
プラネタリウムは閉館することとなり、
今回の公演が
このプラネタ会場での公演としては最後となるそうです。

いざプラネタドームに入ると、
星空を写すための
360°半球型のスクリーンが
頭上を覆っていて、
客席の真ん中には大がかりな、
映写装置や照明機材がドーンと設置されていました。

ちゃんとしたプラネタリウムの設備なので、
その会場の空気感にまずワクワクしました。
この歳になっても、
大きなマシーンを目にするとワクワクするもんですね。

ストーリーは
本島から遠く離れた沖縄県与那国島。
その海底沖には、人工物らしき海底遺跡が実在します。
所謂、沖縄海底遺跡。

その海底遺跡は一体なんなのか。

二人の学者は
海流と地質による自然現象派と
人工的に作られたと唱える派に別れて
言い争うが・・・

という話。

議論系かと思えるあらすじですが、
本編は役者が会場を縦横無尽に駆け回り、
時空を越えて、宇宙も越えて
展開されていきます。

そのタイムスリップをする際に
プラネタリウムの時間になるのですが、
ぐーっと星空が変わり、
与那国での星空を観たときは、
随分景色が違うんだなあと思いました。

プラネタや、映像、照明効果などで
「ムー」に出るようなオカルトネタや
パロディをふんだんに織り交ぜ、
瞬く世界が繰り広げられました。

幻想的な空間を魅せるというのは、
舞台をする人にとっては
みんなが思うことのひとつ。

それを大がかりで手の込む演出を
ふんだんに盛り込む劇団の熱量に
感心しました。


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楽屋にお邪魔して玲央さんに会いましたよー。

『みみばしる』鑑賞記録の後編です。

前回は、
鑑賞前に色々とあったので、
その模様をお伝えするだけとなりました。

今回は、
鑑賞の感想をメインに語ろうと思います。


【『みみばしる』のあらすじ】

30歳になり仕事をやめてしまい
劇団のお手伝いをはじめた主人公は、
ラジオに投稿したハガキが読まれたことで
それを心の頼りにしてのめり込むも、
それ以降なかなか投稿は読まれない。

次第に文章をデフォルメして
過激な内容を書くようになると、
ハガキはまた読まれるようになるが・・・
物語はとんでもない方向へと。

【わたしが感じた3つのポイント】

いま書いたあらすじは、
あくまで主人公視点のエピソードだけで
本編は登場人物それぞれにエピソードがあって、
それぞれが絡み合う、群像劇の仕上がりになっています。

細かなことを書くことは出来ませんが、
この物語の魅力と
わたしが感じた3つのポイントを書こうと思います。

1、それぞれが抱える心の闇

登場人物はみんな
なかなか本音で話し合うことが出来ず
それぞれの手段で、なんとか心で繋がろうとします。
その手段が間違った方向へとエスカレートしていき、
ちょっと狂気的ともいえる展開になるんですが。

その間違った方向へと後押ししてしまうツールとして
ここでは「ラジオ」と「SNS」がキーとなっていきます。

「ラジオ」によって、
自分を誇大させてしまうラジオパーソナリティ。

自分の顔を出さないのを良いことに
自制心を持たない「SNS」ユーザーたちの罵詈雑言。

この物語ではそれが次第に暴露されていきますが、
その醜悪な姿が顔を出したとき、物語が加速していきます。

2、何が起こるかわからないリアルタイムの放送事故。

この舞台は「JUNP OVER」という
ラジオ番組からスタートした企画でした。

作者はそのラジオでは出来ないことを、
舞台にのせていきます。
それは放送事故です。

ちょうど先日、
知り合いと昔のテレビについてしゃべりました。

昔、黒柳徹子が若かりし頃(笑
テレビ黎明期は、生放送が主流でした。

そこでは、様々なハプニングや放送事故が
おこっていたと思います。
そんな中でも、
ひた走ってきた役者たちのエネルギーは
すさまじいものだったとおもえます。

放送事故が良いと云ってるわけではありません。
制限や制約が増えた今、
なにが本当に
「面白い」なのかすらぼやけてきて、
出演者は呪縛のように縛られた中で
人々に発信をしています。

生放送や、
制限の少ない中で輝いた濃度、密度は、
整いすぎた今の番組には欠ける情熱です。

ネットフリックスという、
縛りの少ない制作会社によって作られた映画が
否応なく、アカデミー賞を獲っていく時代が
何を表わしているのか。

そんなことを放送事故という展開から
考えさせられます。

3、真っ直ぐ思いを歌で吐き出す。

それほどに、自由になったようで
より複雑に見えないものに縛られていく私達は
結局、心が増してなにかに縛られた日々。

だから心を歌うミュージカルや、
真っ直ぐに叫ぶものが求められるのかもしれません。

出演者は一般公募で集められた人たちだそうです。
そのビジュアル、存在感は見事でした。
プロの役者というだけでは出せない、
その人がもつ存在感は
このフィクションな作品と、
現実を地続きにさせています。

整いすぎたモノではなく、
人の持っている底力、エネルギー。

それは何かにしばられ
自分を発揮出来ない思いから湧き起こる
野性だなと感じました。

その野性を叫ぶように歌った出演者たち。

そこに人間の持つ本当の輝きをみたように思えます。

【鑑賞後――】

前回の記事で書きましたが、
開演前にヨーロッパ企画の石田さんに
ばったり会いまして。
で、その時にちょっとお願いして
楽屋あいさつに便乗させてもらいました。
ただ普通にチケットを買って、
普通に観て普通に帰るつもりがラッキーでした。

その時の写真が冒頭の玉置玲央さんとの写真です。
玲央さんは、劇中もの凄く叫んでたのに、
終わっても全然声が枯れておらず、
「オレ、のど凄っごく強えーの」って
云ってました。

本当にパワフルな役者です。

こんなステキな役者と知り合えてるのに
いっしょに仕事が出来ないのは、
なんとも勿体ないことなので
いっしょに仕事が出来るようにがんばろ。

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こんにちは、アサカワです。
3月の観劇ラッシュ
(というほどではないですけど)
一発目は

J-WAVE30周年×劇団ゴジゲン10周年
企画公演『みみばしる』

昔から好きな女優
(朝ドラ『ファイト』の時から)、
本仮屋ユイカさんが舞台で主演を張り、
映画『アズミ・ハルコは行方不明』
松井大悟監督と、
その映画に出演した石崎ひゅーいさん
音楽監督を務め、
そして
スウィトリトのワークショップをするうえで
とても影響を受けた玉置玲央さんも出てて。

そういや、
玲央さんのワークショップ受けたり、
呑んだり、ご飯行ったりはしたけど、
玲央さんの出演舞台は
まだ観たことが無かったなあ・・・
(ちょっと失礼ですね)
と思い。。。

そういう色んな好奇心が湧いていたので、
久しぶりに純粋に観劇しに行きました。


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会場に入ると
ラジオ局とのコラボ公演ということで、
こうやってロビーにはラジオブースが。

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公演の制作ノートが読めたり、壁には
稽古期間にあった色々な思い出の写真を貼っていて
開演30分前じゃ楽しめきれないアイテムの数々。

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ひと通りざっと見て席に着くやいなや、
ロビーで松井大悟さんと石崎ひゅーいさんが
生ラジオを始めた
もんだから、
すぐ席を立ち、さっと向かいました。

そんな中、
何故かそわそわして周りをキョロキョロしていたら
(多分、いつもよりミーハーな自分だったから)

あらま、

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ヨーロッパ企画の石田剛太さんがいましたので、
お久しぶりですのご挨拶をしましたよ。
二年ぶりでした。
二回ほど『ヨーロッパ企画の暗い旅』に出たので、
その時のご縁です。

そんなこんなで、
上演前を買った本でも読んで
のんびり過ごすつもりが

開演前に
色々と楽しませてくれる仕掛けが
あふれていたので

本編が始まる頃には
なんか汗ばんでました。


珍しく開演前に色々あったので
舞台の感想やその後の出来事はまた次回に。


みーはーな記事ですいません。。。


アサカワミト

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こんにちは、アサカワです。

先日観に行った
tocotocoしょうとくりぃむさん
WAZAOGUILDさんの合同公演。

今回は後半、
WAZAOGUILDさんによる
リーディング形式での公演、
森本薫『薔薇』について
思ったことを記そうと思います。

前半の
tocotocoさんの公演についてはコチラ
http://sweetlittle310.blog.jp/archives/15829741.html

私は森本薫という作家を
知りませんでしたので、
興味の対象はリーディング形式
という点でした。

先月、私もその形式で
作品を発表したばかり
だったので、
他の演出でのリーディングはどういったものか。
やはりそこが気になりました。

けれど観ていくと
興味の視点は移り変わり、
形式よりも
この作品の世界感や時代感が
気になっていきました。

観ていて頭の中で共鳴したのは
井上靖の「猟銃」でした。

私はその作品を小説ではなく
(それどころか井上靖すら読んだことは無く)
中谷美紀の初舞台作品として観ました。

三人の女性が、
一人の男に向けて書いた手紙を
順に読んでゆく。
その女性を、
中谷美紀は一人三役で演じました。

舞台奥には
猟銃を持った一人の男がゆっくりと、
その心模様が身体から滲み出てるように、
ゆっくりと動いています。

ほぼ、一人芝居。

そしてこの作品は恋愛心理小説で、
何よりその恋愛心理を描いた作品が、
昭和を舞台にした点も相まって
私の頭の中から呼び起こされたのでした。

『薔薇』はラジオドラマとして
森本薫が1938年に発表したものだそうです。
オーソン・ウェルズが
ラジオで『宇宙戦争』を放送して
本当に宇宙人が襲来したと人々が信じて
パニックになったのもこの年で、
日本は着々と戦争に突入していく年でも
ありました。

西洋化の価値観に転化していく中での、
男性と女性の恋愛観の変化と不変。

人間の野心と強欲と嫉妬、愛憎。
そして戦争が与える閉塞感、不安。

その時代の持つ匂いは
いまではなかなか味わえません。

一方で、今も変わらない
愛ゆえに、
自分の心と、相手の心との間で
人生と心を取り乱す人間という生き物。

戦争の時代も、平和な時代も、
人は何を持って生きているのか。
生きることを、何を支えに続けているのか。

そんなことを考えさせられました。

本編は
洋式に変わっていった日本の風景が
見えましたが、それでも、
数々残る和式の建物の質感が
板木の壁に包まれたギャラリー空間によって、
その世界感を引き立てていました。


いまでも、昭和の作品を上演する理由。
いまの時代だからこそ、
昭和初期の人間じゃない世代が
創り上げる意味。


そんな興味も頭をよぎりました。

機会があれば古本屋をめぐって
文字でも一度この作品を
味わってみたいと思います。


アサカワミト

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こんにちは、アサカワです。
去年の年末に観に行った
『スカイライト』以来、久々の演劇鑑賞です。

私は本当にあまり演劇を観ません。

今年もDVDで
ナイロン100℃『ノーアート・ノーライフ』
を観たのみ。

ということは
今年初の観劇になったわけですね。

まあ去年なんか
多分『スカイライト』以外観てないので
2月から観劇してるのは私には早いぐらいです。

来月は1日に玲央さんが出る『みみばしる』
9日にはこの前リーディングイベントに
出演してくれたモウリマサコさん
が出演する
劇団流星群を観に行くので、
私としては怒濤の観劇ラッシュになりそうです。

で、今回の公演ですが
以前「世莉さんといっしょ」を共に作った
tocotocoしょうとくりぃむさんが
別役実で公演をするということで、
観に行きました。

高槻市福寿舎という、
元が酒蔵だったアートギャラリー
会場にされていました。

tocotocoさんの公演を観るのは
初めてでしたし、
別役実の作品も観たことが無かったので
とても良い機会でした。

この公演は
WAZAOGUILDさんとの合同公演でしたので、
お互い1作品を約1時間ずつ上演する
というカタチでした。

今回は『受付』という作品で二人芝居。

別役実は
不条理劇を得意とする作家とは
知っていましたが、
観てみるとなるほど。
昭和を舞台に
世にも奇妙な物語よりもさらに
じめっとした気持ち悪さを持った
まさに不条理劇でした。

神経がおかしくなっているという男が
神経クリニックに来て
先生に診察してもらいたいのに、
受付の女性が一向に先生を呼ばず
わけのわからない話を持ちかけてくる。

というはなしですが、
神経クリニックノイローゼなど、
今では聞かなくなった言葉や響きから
醸し出してくる息苦しさがありました。

この息苦しさはどこから来るのか
と考えてみると、
当時まだ不明瞭だった分野が持つ危うさや、
隔絶してしまうことの多かった閉塞感。
その、成長時代の抱える混沌としたものが
息苦しさを感じさせたのだと思いました。

今ではこういったものは、
脳や身体から出る伝達物質が
異常をきたして起こることだと
解明されて来ているので、
心は心だけでなく、
心によって身体がおかしくなって、
そのおかしくなった身体が
イレギュラーな信号を脳に送って
異常をきたす。

脳の異常が心を蝕むという
見解に変わりました。

この時代、
こうも心のバランスが取れなくなったは
急激な経済成長によって
目まぐるしく変化してしまった生活形態に
本当はついて行けていない人が
実はたくさんいた
んじゃないかと
伺わせます。

アメリカでは
70年代、高級住宅街に住んでいた
専業主婦たちが次々に
精神に異常をきたしたそうです。

それはあまりに
理性・・・というかキリスト教的価値観に
抑圧された環境だったために、
人間の持つ本能や
自然性を自分で無視し続けた結果
発狂に至ったのです。

それを改善する方法は
バイブレーションを開発して
マスターベーションをすることで
心のバランスを取り戻した
そうです。

文明が発展するのはいいですが、
それによって生命としての存在、
動物である自分をあまりに無視すると、
心のバランスをきたすことになります。

この昭和の時代のもつ陰湿な空気
こういった点にあったのかな、と思いました。

この作品は不条理な劇で、
滑稽なおはなしで、
全てに符合が気持ちよくピッタリはまる
そんな構造にはあえてなっていない
でも、それこそが人間なんじゃないか。
と思わされました。

初の別役実でしたが
楽しませていただきました。

後半は
WAZAOGUILDさんによる
リーディング形式で披露した
森本薫の『薔薇』
を上演されてたのですが、
記事が長くなったので、
その感想はまた、次回ということで。



アサカワ ミト




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